「アンジェリーノ」と「ビッケ」

アンジェリーノプティットC200

アンジェリーノプティットC200を購入するまでは、子供乗せ電動アシスト自転車は30万ぐらいするのかな…とソワソワしていましたが、子供イス2台、ヘルメット2つを含めて13万円以内で買え、余裕の予算内で良かったです。

電動タイプの子供乗せ自転車は専門店へ

電動アシスト自転車はホームセンターにも売っていますが、子供を乗せるものなので正規の販売店でしっかりと説明を受けたかったですし、安全面で充分納得したうえで商品を購入したかったので、近所にあるブリヂストン専門の販売店へ行きました。

「前後に子供を乗せたい。重心が低くなるようタイヤが小さいこと」が私の絶対条件で、提案されたのは「アンジェリーノ」と「ビッケ」でした。

ビッケは真っ白なボディと黒いタイヤのコントラストが素敵で、シンプルでかっこよく感じました。

ハンドルの内側に子供前イスを取り付けるタイプなので、ハンドル外側にカゴが付いており買い物へ行くには便利です。ただ、その子供前イスは小さめで、幼稚園年中ぐらいには子供の足が挟まって乗りにくくなってしまいそうな気がしました。ハンドルのふらつきを抑制する、漕ぐ時にガニ股になりにくい設計という点は嬉しかったのですが、イスの不安が払拭できず購入には至りませんでした。

アンジェリーノは7色のカラーから選べるので、好みに合った色を選べる良さがありました。

こちらはハンドルの外側に子供前イスを取り付けるタイプなのでカゴはついていません。が、その分子供前イスに充分なスペースがあり、小学1年生まで乗れそうな気がしました。ハンドルロック機能があるので子供を乗せるときふらつかないですし、ハンドル内側はゆとりある空間なのでガニ股になる心配は一切なかったです。

どちらの商品も前後イスにベルトがついているので、子供の転落防止対策は考えられていました。

バッテリーはどちらも充電時間2時間半、アシストレベル強でアンジェリーノは30km、ビッケは32km走行可能と大差なかったですね。

アンジェリーノプティットC200を選んだ決め手

やはり長く使いたいのでアンジェリーノを購入することに決めました。

ビッケの子供前イスが狭く感じるようになったとき、幼稚園の自転車送迎がお互い苦痛になるのは辛いです。 子供イスのスペースにゆとりある方が安心して乗せられますし、足の部分をたためば買い物カゴになるので有効活用できると思いました。ブラウンのサドルにグレージュのボディという色あいもオシャレだな、と魅力的に感じたのも決め手のひとつです。

実際にアンジェリーノプティットC200乗った感想

まず漕ぎ出しの軽さにびっくり。普通の自転車はふらふらしながらスタートしがちですが、電動アシスト自転車はまるで誰かが支えて背中を押してくれるような軽さです。子供を二人乗せてても重さを感じることはなくスイスイ進めます。坂道だって座ったまま登れます。自転車で30分の距離に実家がありますが、電動アシスト自転車のおかげで全然負担を感じません。疲れない程よい運動が出来るので、お出掛けが楽しくなりました。子供たちも風を切って進むのが楽しいようで、喜んで乗っています。

バッテリーの充電はこまめにするものかと思っていましたが、現在は週に2、3回の使用頻度で週合計1時間半ぐらいなので、1ヶ月に一度の充電で大丈夫です。

車体が重いので結構苦労してます

男の人は気にならないかもしれないけれど、車体が重いので結構苦労しますね。

例えば、駐輪所から出して方向転換するのにも、駐輪時にスタンド固定するのにもなかなかの力が必要ですからね。

漕ぐ時だけでなく、車体を動かすときにもアシスト機能があれば嬉しいですけど、そんな電動アシスト自転車はないですね。。。

旅行先や習い事の数で決められたママ友達カースト体験談

上の子が幼稚園の時のことです。

子供が通っていた音楽教室に、格付けしたがるママが一人いて、ママ友カースト制度を強く感じました。

そのママは私たちの住む地方に旦那さんの転勤でやって来たそうです。東京じゃないと不便よね、早く帰りたいといつも言っていました。彼女の中では、東京が一番で、こんな地方の田舎は下だと見下しているようでした。

そして彼女を取り巻くママたちは、大抵転勤族で首都圏からやって来た人ばかり。きっと彼女が選んで仲良くしているんだろうなと思いました。

当然田舎生まれ田舎育ちの私なんて、見向きもされませんでした。

偶然会って挨拶しても、横目でちらりと見るだけで、物凄く素っ気ない対応です。

でも特別仲良くなりたくなかったので、我慢して過ごそうと決めていました。

正直、早く彼女が大好きな東京に帰ればいいのにと思っていました。彼女は旅行が好きで、休みの度に色々なところへ行って、音楽教室のメンバー全員にお土産を買ってきました。それからお土産話をして、それぞれ旅行に行ったことがある場所について自慢し合うんです。

まるで旅行先で格付けされているようでした。

たまたま彼女がハワイに行ってきたときは、海外旅行の話で盛り上がっていました。未だ海外旅行に行ったことのない私が会話に参加できずにいると、もしかして海外に行ったことがないの?と凄く大きな声で聞かれました。

子供の前でそんな風に言わなくていいのに、と凄くくやしい気持ちになりました。

そして私と同じく地元民のママにも、海外くらい行ったことあるわよね?と聞いていました。彼女が質問する順番が、格付けランキングの順番がなんだなとハッキリ分かりました。黙って聞いているママたちも、何の疑いもない様子で、その順番を受け入れていました。

また、違うときには習い事の話になりました。

格付け好きのママの子供は習い事を複数しているのですが、両立が大変だという内容でした。我が子もいくつか習い事をしていたので、その話には興味深く頷いていると、ママたちにビックリされました。海外旅行もしたことがない私が、子供に複数の習い事をさせる余裕があるとは思っていなかったようです。

そっちにお金取られちゃってるのね、みたいなことを言われて、ますます嫌な気持ちになりました。

このママ友カーストは音楽教室に通っている間ずっと続きました。

そして子供が小学校に上がるときにグループが解散になったので、やっと解放されました。

子育てサークルで大変な思いをしました

babycar

結婚して子供が生まれ、知らない土地で知り合いもいなかったため、初めて子育てサークルに参加しました。勇気を出して子育てサークルへ行ってみると、年が近いママ達がたくさんいて、緊張しながら他のママに話しかけてみたりしました。

そのサークルでは、自然と場を仕切っているボスママのような人がいて、私もその場にいたのに他のママの話は聞き、私のことは無視で目も合わせてくれませんでした。私が新入りだから仲間にしたくないのかなと思いながらもあまり気にしないようにして、他のママと話をしていました。

次の週にまた子育てサークルへ行くと、ボスママが突然私の所に来て、「お兄ちゃんのお下がりだけど良かったらどうぞ」と紙袋一杯に入った洋服を渡されたのです。私は貰えませんと言いましたが、返すのも悪いと思い、助かりますと言いながら紙袋を受け取りました。

突然のボスママの優しさに驚きながら、私はいつも通りにサークルへ参加していたのですが、ボスママの私の無視攻撃はまだ続いていて、何が何だか分からないまま時間だけが過ぎて行きました。私はボスママにただ振り回されているような気がして腹が立ち、お礼をしていないから私を無視するのかと思いママ友からボスママの家を聞いて、ケーキをお土産に直接自宅へ行ってみることにしました。

勇気を振り絞り、ボスママの自宅のチャイムを鳴らすと、早速ボスママが出て来て私を見るととても驚いた表情でしたが、いつもとは違う母の顔をしていたのが印象的でした。私が、「この前はたくさん頂いてありがとうございました。少しですがお礼です」とケーキを差し出すと、「逆にお金を使わせてしまってすみません。」と予想外の返事が返ってきたので私もびっくりでした。ケーキを渡してすぐに私はボスママの家を後にしました。これでお礼もしたし、今後の付き合いは止めようと思っていました。

その次の週にサークルへ行くと、ボスママがニコニコした顔で私に話しかけてくるのです。ボスママの豹変ぶりに私も驚きを隠せませんでしたが、いつものように普通に接していました。

後から他のママ友から聞いたのですが、ボスママは会社社長夫人で、誰かに物をあげてお礼がない場合はその人との付き合いをしないようです。土地柄物のやり取りの結果疎遠になってしまうこともあるようなので、あまり人から物を貰ってはいけないと聞きました。物のやり取りで人の価値が決まるなんてとんでもない話だと思いましたが、人付き合いで苦労するのはもう懲りたので、本当に仲の良いママ友以外は最低限の付き合いをしています。

父の他界後に感謝の気持ちが倍増しました

私は今は40代に入りましたが、10代という若い時期から親元を離れて暮らしていました。これも一種の私の運命だったのだろう、と今では思っていますが、ときに悲しくなることがあるのも事実です。そして、そうこうして年月が流れ、自分の両親も70代に入ったある日、とうとう一番恐れていた出来事がやって来ました。それは生あるものであれば誰しもが通らなければならない死と向き合うという事実でした。身内の中でも、中心的存在として家族を数十年に渡り支え続けてくれた父の死でした。

どの家庭にも日々様々な困難や問題はあるでしょう。我が家も例外ではなく、今思えば父は本当に一人で背負うものが多い中、家族のことをいつも気遣い、私に対しても最大限の愛情を与え残してこの世を去られたのだなぁ、と今なお感謝の念が絶えません。

私が帰省したときには、いつも冗談ばかりを一日中言い続けていた父がいました。あの父の冗談は単なる口だけの表現でなく、全身全霊を使った表現だったがゆえに、私だけでなく、母や私たち兄弟姉妹を、知らない間に笑顔に導いてくれていたのです。今思えば、あれは父からの最大限の私への、そして家族へのプレゼントだったのだと気付きました。また、父は私が実家にいるときには必ず毎朝私の大好きな朝食を準備してくれたのです。早朝から駆け足で買い物に行き、さりげなく机の上においてあるだけなのですが、私は父からその朝食を通して口では言い表すことができないくらいの愛情を受け取っていたのだと思います。さりげない日常の日々、一瞬一瞬の出来事ですが、これは今だからわかる、二度と経験することのできない、私にとってはかけがえのない大切な時間だったのです。

父はとにかくいつも前向きでその下向きな姿勢が自然と私を無意識のうちに勇気づけてくれていたのだと、父が他界してから感じました。父を知る人間からは私は一番父に似ていると言われます。顔が似ているのではなく、内面から受け継いでいるものが多くあるということです。嫌な面ももちろんありますが、やはりあれだけ周囲の人間を笑わせ、心を緩ませ、安心感を与えてくれた父のことは一生忘れられません。父からもらった最愛の心ギフトは私の心のなかで今も燃え続けています。お父さん、ありがとう。

祖父が教えてくれたこと

私は主人の祖父にとてもかわいがってもらいました。
子どもに関わる仕事をしている人で、80代になってもずっと現役でお仕事をしていました。
主人は子どもの時から祖父と一緒に住んでいて本当にかわいがってもらったようで、私も結婚前に出会ってからずっとかわいがってもらい、気にかけてもらいました。

ひ孫にあたる長男が生まれてからは、長男を本当に大事にしてくれました。
長男もひいおじいちゃんが大好きだったのでよくおうちに泊まりにいったり、遊んでもらったりしていました。
祖父にとっては長男が何よりの宝物で生きがいであったのだと思います。

しかし、とても行動力があり元気な人でしたから、時には少し放っておいてほしいなぁと思ったこともありました。
近くに住んでいるときはアポなしで突然家に来ることもあったり、転勤で遠くに住んでいた時は頻繁に電話がかかってきたり・・・。

今思うとなんてことないことなのですが、当時の私は余裕がなくイライラしたりしていました。

1年前の春休みに長男と2人でお店でご飯を食べていた時のことです。
そのお店は祖父の職場の近くで、祖父とも何度も食事をしたことがあるお店でした。

私はふと「おじいちゃんに電話してみようかな」と思いました。

仕事中の時間なので普段はそんなこと思わないのですが、その時はなぜかそう思ったのです。
しかし、その後長男の病院の予定もあったし、少し面倒くさく感じて結局電話はしないで終わってしまいました。

その翌日、祖父は突然亡くなってしまいました。
急いで病院に行きましたが、その時はもう意識がありませんでした。

私は前日、祖父に長男を会わせなかったことを本当に後悔しました。
同じ町に住んでいながら約1か月会っていなかったこと、いつでも会えると思って先延ばしにしてしまっていたこと。

お通夜の時の、お坊さんの言葉に涙が止まりませんでした。
それは「今日と同じ明日が必ず来るとは限らない」というものです。
いつか会える、また会えると思っていても、その時が必ず来るとは限らないのです。
当時の私は妊娠中で、生まれてくる次男もきっとかわいがってもらえるだろうと思っていました。
しかし、それも叶いませんでした。

その言葉を聞いて、今まで長男や主人や私が祖父にかわいがってもらっていた日常が当たり前ではなく、本当に有り難くかけがえのないものだったと強く思いました。

私は今、その思いを胸に、次男を連れてよく義実家に通っています。
主人の祖母にまだ小さい次男を会わせるためです。
祖母も本当によく次男をかわいがってくれます。
長男も普段は学校でなかなか行けませんが、ひいおばあちゃんのことをとても気にかけています。
祖母が元気なうちにたくさん息子たちとの思い出を作ってもらいたいです。
私は祖父が教えてくれた当たり前の日常を大切にしていきたいと思っています。

懐かしく楽しかった昔

僕はまだ18歳ですが、高校時代や中学の時は楽しかったなの実感しています。買い物に出かけたとき、ふと雑談をしている学生の集団を見つけ、あのころの何気ない生活が楽しかったんだなあとうらやましく思いました。戻れるなら戻りたいですね笑

今働いている仕事先では多少の会話はあるものの、楽しいと思える話はほとんどありません。高校のとき、飲食店でアルバイトをしていたのですが、よく喋っていました。そのとき働いていたバイト先は先輩後輩関係なく仲がよかったので、バイトが終わってからみんなで遊びに行くことも結構あって本当に楽しかったです。

今ではそんな楽しかった頃と違って、別に行きたいわけでもない飲み会に連れて行かれたり、パチンコは好きじゃないと言っているのに連れて行かれたりで何のために遊びに行っているのやらわかりません笑やはりバイトの付き合いと会社の付き合いは全然違うものだなと思い、幾度となく会社を辞めてバイトしようかなと思ったりしました笑

また同じく仕事の話になるのですが、今は仕事に追われて遊ぶ時間がほとんどありません。遊ぶとしたら睡眠時間を削って遊ぶしかないです。それに遊ぶとしても、高校の友達とかは時間が合わなくてなかなか遊びに行くことができません。遊べても一緒にご飯行くだけだとか、少しカラオケに行って解散と満足するほど長い時間遊べることはなくなりました。

ほんの1、2年前までは、一日中時間を気にすることなく遊びに言ったり、予定を合わせて旅行に行ったりしてたのに、今じゃあの頃はおろか、高校卒業してから思う存分に遊んだことはないんじゃないかと思いました。少し月日が経つだけで生活がまるで違いますね。

まだ18じゃないかと思うかも知れませんが、社会人になってからは毎日の楽しみがこれといってないので辛いです。毎日同じ時間に起きて会社に行き、残業があれば残業をして、家に帰宅してお風呂に入ってご飯食べて寝る。贅沢ですがこの繰り返しは堪えるものがあります笑 遊べるときに思う存分遊ぶのがどれほどよかったのか痛いほどわかります。

悪口を言い合える関係

学生時代から10年以上付き合いのある異性の友人が居ました。社会人になってからも月に1回は顔を合わせて、数人で飲んだり遊びに行ったりしていました。他にも異性の友人は一人二人いましたが、その男性とはいつも文句や悪口を言い合えるような仲でした。学生時代の恥ずかしい姿や失敗などもすべて見られているので、普段は女性っぽく過ごしていてもその友人と居るときや話すときは素の自分よりもむしろダラしない、ダメな自分になっていたと思います。しかし今思うと、そういったダメな部分を出せる存在がいたからこそ、会社や恋愛においても頑張れたのかなと思います。

その友人とは付き合いのある10年以上の関係の中で、1回もお付き合いや恋愛をするという関係になったことは微塵もありませんでした。お互い恋人がいる状態が長かったですし、むしろこの人とは絶対に付き合いたくないと言い合う仲でした。そんな関係を続けていましたが、周りの友人からは「二人はお似合いだね」と言われることが数回あったと思います。その時は「イヤだよ。全然お互いタイプではないし」と言っていましたし、本当にそう思っていました。

他の友人も交えての関係はずっと続くものだと思っていたのですが、ある日突然終わりを告げてしまいました。その友人に結婚を意識させる女性が現れたのです。その方と付き合い始めてから友人は少し変わりました。それまで友人たちと居る間は、彼女からの連絡には一切反応しない、携帯も見ないようなタイプだったのですが、結婚を意識するようになった女性からの連絡にはすぐに反応していました。どんなに会話が盛り上がっていても、席を立って彼女からの電話に出るようになりました。

そしていつからか、私たち女性がいる飲み会や遊びには顔を出さないようになりました。他の友人から聞いたところによると、彼女が嫉妬していて来られなくなったということでした。まったく心配のいらないような関係性であっても、異性の仲が良い友達がいることがイヤだと思う女性は多いと思います。私は仕方がないという気持ちと、寂しいという気持ちに襲われました。悪口を言ってくれたり、罵り合う関係が無くなり、なんだか人間関係に疲れてくるようになりました。いつでも気取っていなければならないような感じになり、あの友人との関係は息抜きになっていたのだと感じました。

しかしお付き合いをすることの無い私たちの関係は、彼女との関係よりも脆いのは仕方がないと思います。酔った勢いでその友人に「友達よりも彼女とるなんて最低だな!」とメールしてしまいました。

またいつもの調子で、「お前のほうが・・・!!」と何か言い返してくるかなと思ったら、「本当にごめんな」と一言。それを見て、本当にこの関係はもう終わりなんだなと思いました。男女の友情はあると思っていましたが、それを続けることは難しいものだと思いました。それ以来、一切連絡は取っていませんし、もちろん会うこともありません。友人の一人に過ぎないと思っていましたが、失った今はあの日々が楽しくて幸せだったのだなと思います。

子供は親の鏡というけれど

子供は親の鏡だとか、子供は親の背中を見て育つとか、よく言いますよね。私たち親が子供にとってのいい見本になっていれば、ああいう言葉ってみんな褒め言葉に通じると思いますが、だいたい使われる時ってネガティブというか非難のニュアンスが込められていることが多いような気がします。

たとえば我が家の二人の子供のうち、上の女の子は顔かたちや体形も私やひいては私の母方の血筋が濃く出たのか、自分でいうのも何ですけれど、ふっとした時の表情だとか後ろ姿がわが子ながら私が同年代の頃にそっくりで時々びっくりさせられます。私が昔着ていた浴衣や着物などの晴れ着がちょうどサイズもぴったりだったり、色味も似合っていたりするので似ているというのは良い点も多いとは思うのですが、あまり似すぎていると、身内の者、特に私のほうの親戚や親たちに何かと今の上の娘と同年輩の頃の私との比較をされて正直うんざりすることも多いんですよね。

私は自他共に認める運動音痴で運動会ではもっぱらみんなの引き立て役に徹するしかない方でしたし、中学に上がっても運動系の部活なんてもってのほか。ブラスバンドで管楽器を演奏したりしていたのですが、娘は同じような体形でも運動神経は夫に似たのかスポーツは何でも得意で、小学校一年から運動会でリレーのメンバーに選ばれなかった学年はありませんでした。

私の実家が同じ市内にあるせいか娘の父兄に私のかつての同級生たちも大勢いて、そんな運動会ではち合わせると「足が早くてすごいわねぇ」だとか「スポーツ万能でうらやましいわ」とか言われて、初めのうちは私も得意満面鼻高々だったんです。

でもそれも中学に上がって、運動部に入り本格的にスポーツを始めるまででした。娘は部活に入ったとたんにエース級の活躍をし始め、自分の中学だけではなく県内の中学生から選抜されたチームに一年生から招へいされるような存在に。ちょっとした記録を出した時には地方紙とはいえ新聞に写真入りで紹介されたり、ローカルテレビ局からインタビューを受けたりするまでになってしまったんです。学校の父兄だけでなく夫の職場の方たちにも知れ渡り、夫の仕事がらみの冠婚葬祭の折などにまで話題になる始末。

そこまではまだぎりぎり良かったんですが、今では誰でも彼でも私が運動音痴だということを知っていて「とんびが鷹を生んだのねぇ」だとか「見掛けはともかく中身はアナタに似ないで良かったわね」なんて言われるように。一生懸命頑張っている娘を誇らしく思わないわけではまったくありませんが、娘がそうしてほめちぎられるたびに、私自身がけなされているというか大げさに言えば存在価値が否定されているような気がしてくるというか。

子供は親の鏡、私がちゃんとしていればこそ娘もきちんと育ってくれていると信じていますが、こう娘ばかりを言われると「子供はあんなに立派なのに」と陰口を言われているようでいたたまれない気がする時があります。そんな時ダメだと思いつつ、のんびりした下の子といるとほっとした気になる半面、上の子をうっすら煙たく思うというか嫌いになりかけそうな自分に気付いてハッと我に返ったりの繰り返しです。

赤子は泣くのが仕事だと云うのだけど…

あまり子供が好きではなかった自分がまさか子供を授かるとは夢にも思いませんでした。

あれは今から6年前、妻がどうしても子供が欲しいと願っていた為、体外受精という選択でようやく妊娠、無事出産しました。お産に立会い、感動の出会いがありましたがどこか冷めた目線で眺めている自分がありました。もとからそこまで子供が好きでなかった為、小さな赤子を見ても我が子とは到底思えず、何か不思議な気分でその日は過ぎて行きました。

男性の皆様は少なからずその様に思える人もいるのではないのでしょうか?

事実、私は暫くの間その不思議な気分から脱却できませんでした。

1ヶ月が経ち、写真撮影のためとある写真館でオムツを私が替えていたときです。突然我が子が「けらけら」と笑い出したではありませんか!初めは驚きましたが、やっと人間らしい表情が出てきたなと喜び、私自身も自然と笑いが出てきました。

それまでは泣くことしかせず、気づいたら寝ているという毎日でしたので嬉しいやら可笑しいやらで、どちらかというと安心感で一杯でした。それからというのも笑いが絶えない家族になったかに思えますが、そう簡単ではありませんでした。この6年間の中で一番子供を嫌いになった時期がやってくるのです。

それは毎日訪れます。妻が風呂に入っている時です。ほんの数分なのですが、その瞬間から我が子が悪魔に変わるのです。恐ろしいくらいに大泣きをし、この世の終わりかの様な表情で泣き叫ぶのです。

私はそれが恐ろしく、何をしても改善されない我が子に手を出そうかとも思う始末。もちろん手は出せませんが、一度だけ私のベッドに放り投げたことがありました。驚いて暫くは泣き止みましたがそれは一時的なもので効果はありません。なんて事をしてしまったのかと後悔はしましたが、毎日続くと頭がおかしくなりそうです。一緒に入ることがベストなのでしょうが、それはほぼ不可能。もちろん寝ているときを見計らって入ってもらえば完璧でしょうが、一緒に風呂に入れても妻が体を洗う瞬間があり、その瞬間さえも泣き叫ぶのです。一瞬たりとも離れるのが嫌なのでしょうか、そんな調子ですので妻が風呂に入れないこともありました。

それだけではありません。夜泣きです。突然泣き出すので毎日寝不足です。まあ、それは寝室を別にすれば解決しましたが…。

半年を過ぎ自分自身も大分慣れてきて、子供の泣き声に対しても寛大になってきましたが、あの時を振り返ると、もう懲り懲りです。子供を虐待する親がいるという報道が日々流れていますが、分からないでもないな、とさえ思えた半年間でした。ちなみに現在はとても親ばかになるほど溺愛しております。

娘の子育てに四苦八苦

我が家には幼稚園年長の娘が一人います。 一人娘で専業主婦と言うこともあり娘と係る時間も長く、育児に四苦八苦する毎日です。私は若い頃はどちらかというと子供が苦手で、嫌いというわけではないのですが子供とどう接していいかわからず、近所や親せきの子供ともあまり関わりたくないという感じでした。

しかし自分に子供ができると子供に対する見方も変わり、他人の子供にも温かい目で見れるようになりました。 娘がまだ言葉を話すことが出来ない頃は本当に無条件に可愛くて、育児も苦にならなかったのですが、月日が流れるのは早いものでオムツをしていた娘も心身ともに成長し、時には私に反抗するほどになりました。

娘に対して今一番困っていることは、買い物やレジャーなどで家族で出かける時、いつもよりテンションが上がってしまい、店内で走り回ったり勝手にどこかに行ってしまったりすることです。他の人に迷惑になるという事も勿論ですが、最近は物騒な事件も多くなってきているので本当に心配ですし神経をすり減らす日々です。3~4歳の頃より言葉も達者になり、会話も大人と同じように出来る年齢になってきたのに何故いう事を聞いてくれないんだろうと思うと、

本当に子供と接するのが嫌になる時があります。

先日も半年がかりで計画を立て、家族で大好きなディズニーリゾートに遊びに行ったのですが、娘の勝手な行動とあれ買って!これ買って!の攻撃に、心身共に疲れ果て連れてくるんじゃなかったと激しく後悔してしまいました。一瞬、大人だけのレジャーならこんな思いはせずに済むのにと思いましたが、やはり娘が美味しそうにアイスクリームを食べたり、買ってあげたぬいぐるみを大事に頬ずりしている姿を見ると、嫌な思い出も忘れてしまいまた娘を連れてきてあげたいなと思ってしまいます。

私にとって娘は初めての育児ですので色々と一筋縄ではいかず、自分自身余裕がなくなり思い通りにならない娘の事を疎ましく思うことも多々あります。

しかし自己主張するほど娘も成長し、これから大人になる準備をしているのだなと思うと、私も娘に対して接し方を変えていかなくてはいけないなと思うようになりました。これからはいつまでも過保護に接するのでなく、娘自身に考えさせるようにしていきたいと思っています。娘と一緒に私も母として成長していけたらいいなと思います。